【インタビュー】辻 英子 先生 ~人と、自分と、音楽と向き合う~

ヴァイオリンの、2つの特徴

辻英子
スタッフ:ヴァイオリンは、いつ、どのようなきっかけで始められたのですか?

辻:習い始めたのは3歳の時です。
私の母はピアノ講師をしていたのですが、母はヴァイオリンについて、
(1)アンサンブルの機会が多く、(2)音楽ジャンルが多岐にわたる、というイメージがあったようです。

スタッフ:(1)アンサンブルの機会が多い、というのは、ピアノは1人で弾くことが多いのに対し、ヴァイオリンは複数人で演奏することが多いということですよね。
(2)音楽ジャンルが多岐にわたる、というのは、どういう意味ですか?

辻:これは他の楽器にも言えることではありますが、ヴァイオリンはクラシックやジャズ、カントリー、ポップス、クラブミュージックなど、幅広いジャンルで合奏ができます。
そういった合奏の中で、人とコミュニケーションを取れるということを、母は魅力的に感じていたのかも知れません。

スタッフ:辻先生は、どのようなジャンルの音楽をされているのですか?

辻:私は、クラシックはもちろんですが、ジャズやタンゴ、クラブミュージックというジャンルでもライブをしています。
また、ハウスミュージックのユニットに入っていて、そういった音楽もしています。

スタッフ:そうなのですね!最初はクラシックを習われていたのですか?

辻:クラシックです。学生の頃に、アルバイトで結婚式のブライダルヴァイオリニストをしており、その頃から、ポップスの曲を弾く機会が増えました。
また大学で、ジャズ理論の授業を取り、ジャズのおもしろさを知りました。
それから、ニュージーランド人ジャズヴァイオリニストの友人から教えてもらうようになり、自分でコードの勉強をしました。
コードには、クラシックで学んだ和声との共通点がたくさんあります。

母親との練習

スタッフ:ご自宅でヴァイオリンを練習される時は、お母様がアドバイスをくださいましたか?

辻:はい。毎日、母が指導してくれました。
母は、レッスンの時に先生がおっしゃったことをメモして、私に教えていました。

スタッフ:親子で練習すると、ケンカになることもありそうな気がしますが、いかがでしたか?

辻:母の指導はとにかく厳しかったので、私は言われた通りに取り組みました。
当時はまだ幼く、反抗しない性格だった為、ケンカにはなりませんでした。
母は、私が弾けるようになるまで練習を終わらせてくれなかったり、さぼっていると、私を練習室まで引っ張って連れて行ったり・・・厳しかったですね。
母は、私の練習の時に、いつも側でピアノを弾いてくれました。
私が最初に習ったヴァイオリンの先生は、楽譜を読むことよりも、曲を覚えて弾くことを大切にされていて、
私は母がピアノで弾いてくれた音を耳コピしてヴァイオリンで弾くような形でした。

辛い時期を、自分で乗り越えた

スタッフ:「最初に習った」とおっしゃいましたが、途中で先生が変わったのですか?

辻:ええ。母が、楽譜を読みながら自分で弾き、手の形などもっと深く勉強すべき、と考え、小学2年生から相愛大学の先生に習い始めました。
大阪音楽大学の先生に習うようになったのは、小学6年生からです。
私は音の読み方を、ピアノ講師の母から教わっていましたが、
最初のヴァイオリンの先生は、楽譜を読まないで弾くという指導法だった為、読みながら弾くことはしていませんでした。
その代わり幼少期に、記憶力や暗譜をする力を身に付けることができたと思っています。

スタッフ:小学2年生、6年生と、先生が変わる機会が多かったのですか?

辻:はい。大阪音楽大学で村田宜子先生に教えていただいたのですが、それまでに合計4人の先生からご指導いただきました。
友達関係で相性の合う/合わない、があるのと同じように、先生と生徒の関係にも、そういったものはあると思っています。
例えば、最初に習った先生はとても大らかな方でしたが、次の先生は教え方が全く違い、また、とても厳しい方でした。
私は急な変化についていけず、途中からヴァイオリンを辞めたいと感じるようになっていました。

スタッフ:辞めたいと思った時、お母様に伝えましたか?

辻:伝えました。後で分かったことですが、そのとき母は、私が先生との関係に悩んでいることを感じていたようで、
またタイミングを見つけて新しい先生のところに行くようになれば、やる気が戻ると思っていたそうです。
母は自分自身の音楽経験から、少し辛い時期があっても、一度辞めてしまうと戻る機会がないと感じており、
また、私には音楽を続けてほしいと思っていたようで、私が言い訳をしても通用しない部分もありました。(笑)
当時の私は小学3年生くらいだったのですが、学校でヴァイオリンを習っているのは私だけという状況だったこともあり、自分の特技はヴァイオリンだと感じるようになっていました。
それを自覚した時に、初めて自分自身でヴァイオリンと向き合い、今は辛いけれど辞めずに続けよう、と決断できました。

音楽学園を経て、大阪音大へ

スタッフ:その時に、既に音大進学まで見据えて考えていらしたのですか?

辻:私はそこまで考えていませんでしたが、母は、私が音大に進学できるようにと考えて、レールを敷いてくれていたのかもしれません。
小学6年生からは、大阪音楽大学音楽学園(付属音楽院の前身)で、ソルフェージュと合奏を習い始めました。
ソルフェージュで同じクラスになった子たちは、自分と同年代とは思えないほどレベルが高く、
私はみんなについていくために自宅で復習をして、必死で取り組みました。

スタッフ:
高校は、音楽に関係のある学校へ通われたのですか?

辻:いいえ、普通科の高校に行きました。
私はみんなについていくのに必死というレベルだったので、音楽科の高校に行くという発想はなかったですね。
それに、通っていた中学校は元々、小中高の一貫校でした。

スタッフ:今のご活躍から考えて、そんなことはないと思いますけれど・・・。

辻:今も、「自分は落ちこぼれだ」という意識は心のどこかにあります。
あと、私は小さい頃から頻繁に先生が変わっていて、その都度、弾き方が変わったり、基礎に戻ったりして、遠回りをしたような感覚もあります。
そういう点でも、高校入学時点では音楽科を受ける段階ではなかったです。

スタッフ:
大阪音楽大学に進学されたのは、音楽学園時代のご経験があって、ということでしょうか?

辻:
そうですね、小学生の頃からお世話になっている先生方や友達がいたというのは大きかったです。
それと、自宅が近く、通いやすいということもありました。
こうやって考えると、私が自然な流れで大阪音楽大学に入学できるよう、母が計画して行動してくれていたと思いますね。(笑)

新しい目標

スタッフ:大学時代はどんなふうに過ごされましたか?

辻:それまで、大学入学を目標に取り組んでいたので、入学時に新しい目標を決めようと思いました。
そこで、私はミュージカルや舞台が好きなので、そういうところで演奏する仕事をすることを目標に定めました。

スタッフ:ミュージカルお好きなのですね!どういうきっかけがあったのでしょうか?

辻:
小学生の時から好きでした。
小椋佳さんが主宰されていたミュージカル団体があり、3年ほど、それに参加させていただきました。
また、豊中市のこどもミュージカルに出演したこともありました。
この頃は、歌って踊っていました。
当時の私にとってミュージカルは、親しみやすく年齢を問わず楽しめる、総合的な芸術という感覚があり、将来は、学んできたヴァイオリンで関わりたいと思いました。

スタッフ:ミュージカルのお仕事をしたいと思った後、どのように学ばれましたか?

辻:大学卒業後に、ミュージカルが盛んなイギリスに留学しました。
昔から英語も好きで、字幕無しで英語の映画を観られるぐらいの力は独学で身に付けていたので、言語に対する壁はありませんでした。
大学時代に先輩方と、≪レ・ミゼラブル≫の初演を行い、ますます楽しくなっていきました。

イギリスで得たもの

辻英子
スタッフ:ミュージカル、英語、映画など、外国に対する気持ちがおありだったのですね。

辻:そうですね、外国に行きたい、そこに居場所を見つけたいという強い想いがありました。

スタッフ:留学先ではどのようなことを学ばれましたか?

辻:ロンドンのトリニティーカレッジで、日本の大学院にあたる勉強をしました。
自分の演奏を披露する授業がたくさんありました。
イギリスのミュージカルは、何十年も上演し続けているロングランの作品と、毎月のように発表される新作の作品が共存していて、とても刺激的でした。
ただ、私は4年ほど居ましたが、ミュージカルで演奏することは叶いませんでした。
既に有名な先生方が名を連ねていらっしゃり、新規のオーディションはありませんでした。
非常に狭き門だということを、現場に行って感じました。

スタッフ:イギリスに行く前と後で、ミュージカルのイメージは何か変わりましたか?

辻:ミュージカルが好きということは、ずっと変わらないですね。
イギリスに行ったら、私が理想としているそのものがあった、という感じです。


スタッフ:先ほど少し伺いましたが、現在、クラシック以外の演奏活動もされているというのは、そういったミュージカルのご経験がどこかで繋がっているのでしょうか。

辻:そうかも知れません。
イギリスに居た頃からジャズも始めており、次第にポップス寄りのものにも興味を持つようになりました。
今も、自分の居場所というのでしょうか、自分が本当に好きなものを追求していきたい、と思っています。

自分の言葉で伝えるレッスン

辻英子
スタッフ:ヴァイオリン講師のお仕事を始められたのは、帰国後ですか?

辻:留学する前から、先生や大学からのご紹介で、させていただくようになりました。

スタッフ:子どもさんのレッスンをする際に、どういうところを意識されていますか?

辻:なるべく友達のように、気軽に話すように心がけています。
例えば、私が保護者の方と同じ話し方をすると、子どもさんの逃げ場がなくなると思うので、
保護者の方のご意見やお気持ちを伺い、それを私の言葉にして伝えています。
また、流行りの有名人の名前を出して話すと、高学年や中学生の子たちには伝わることもありますね。
高学年くらいになると、レッスンに来る度に顔色や表情が違います。
暗い表情をしているときはレッスンをする前に話を聞いてあげて、それを汲んでレッスンをしています。
私自身、何度も先生が変わりましたが、同じ先生にずっと習い続けたことで上手になっている子たちも見てきたので、
長く続けられるような環境づくりをすることを大切にしています。

スタッフ:子どもたちに、ヴァイオリンを通して、どのように成長してほしいですか?

辻:つらいときにヴァイオリンを弾いて気持ちが楽になるというように、楽器がそれぞれの子に寄り添った存在になると嬉しいです。
また、冒頭でもお話しましたように、ヴァイオリンは人と一緒に演奏する「アンサンブル」をする機会の多い楽器なので、
アンサンブルを通して、人と協力する楽しさや、人の気持ちを考えること、また、人前で自発的に意見を言うことを、身に付けていただきたいです。
そして何より、くじけそうになった時に、「自分にはヴァイオリンがある」と、自信につながるところまで、頑張ってほしいと思います。

人を結ぶ音楽

スタッフ:辻先生ご自身の、今後の目標を聞かせてください。

辻:人の役に立つ音楽をすることです。
私は子どもがいるので、自分のペースで練習ができないこともありますが、しっかりと頑張って、それを子どもたちに伝えていきたいです。
私の演奏や言葉が、子どもたちの心の引き出しに残っているような、そんな役に立つレッスンができる先生になりたいですね。
また、日常的に音楽に触れない方々に演奏を聴いていただいたり、音楽の良さを広めたりするのも、人の役に立つことなのかなと思います。

スタッフ:先生にとって音楽とはどのようなものですか?

辻:音楽は・・・人と出会うツールのような、きっかけのようなものではないか、と思います。
舞台の上で演奏している人と聴いている人は完全にくっきりと分かれているのではなく、どこかで接点があるというイメージがあります。
また、演奏者同士は深い信頼関係で音楽作りをし、本番に臨んでいます。
私は、新しいことをしながら、音楽に触れていない人たちを巻き込んでいくことをしたいと思っており、実際に、それによって次々に輪が広がっていると感じるので、音楽は出会いかなと思います。