さくら夙川校音活ブログ

―冬の唄-

こんにちは。さくら(男)です。

音楽と酒とさくら。

冬になると思い出すことあれこれ。

―夢で逢えたら-

眠り
12月がジョン レノンさんの月であれば、1月は大瀧 詠一さんの月です。

わたしが大瀧さんの曲を聴くようになったのは大学を卒業したからだったと思います。

多分、山下 達郎 さんを聴くようになりその繋がりで大瀧さんや伊藤銀次さんを聴き始めました。

1970代にリリースした『ロングバケーション』は彼の傑作のひとつだと思いますが、あの三矢サイダーのコマーシャルソングも懐かしいですね。

『夢で逢えたら 素敵なことね〜』と思うのですが、このごろは苦しい夢をよく見ます。

以前は何か追いつこうと走るのですが、いくら頑張っても少ししか進まない(いくら夢とはいえしんどい)。

この頃は、以前の会社員時代に仕事をし忘れていて冷や汗をかく(夢の自分の頭の中では、おかしなたしか会社を辞めたはずなのにと思ってはいるのですが)と言うふうに、いく通りかのバリエーションで同じような夢を見ます。

このような夢をみると一旦目が覚めますが、こんどこそ良い夢をとまた眠り続けるのでした。

―前略おふくろ様-

マフラー
ショーケンのこと萩原健一さんは1960年代にグループサンズの一員でしたが解散後は俳優として有名でした。

70年代にテレビドラマ『前略おふくろ様』や『傷だらけの天使』で役者としてブレークしました。

『前略おふくろ様』では主題曲も歌って、アルバムもリリースしました。

『前略おふくろ様』では見習いの板前役で、真冬に割烹着にマフラーだけ巻いて夜道を歩いてくるシーンでこれまで見たことのない巻き方をしていたのが印象的でした。

今では当たり前のようですが、少し長めのマフラーを二つに折って首に巻いた輪っかの方に二つの端を通す仕方です。

なぜか真似できなくて、普通の丈のマフラーを胸のまえで重ねる巻き方しかできません。

―ルビーの指環-

フォークソング ルビーの指輪
私が寺尾 聡に似ている?からではないのですが『ルビーの指環』にはベージュのコートを着た女性が出てきます。

私がイメージするのはウールのキャメル色のラグラン袖のステンカラーコートです。

今ではあまり見かけることがなくなりましたが、この時代はベージュやカーキー色のコートがサラリーマンの定番でした。

今ではしませんが高校生のころはコートの襟を半分立てるのがカッコイイと思っていました。

最近スティーブ  マックイーン主演の初期の映画『ブリット』を観直した時にそのような着こなしをしているのでびっくりしました。

ちなみに、今では当たり前になりましたが、シャツの裾をズボンの外に出すのは昭和30年生まれ前後がそのような格好ができるかどうかの境目だそうです。

もちろん私はシャツの裾を出すことができません。

―黒く塗れ-

黒 コート
中学生の時(約50年前)に初めて聴いたローリングストーズのベスト盤で印象に残っているのが、『Paint it Black』『Dandelion』『Ruby Tuesday』『Satisfaction』でした。

いつ頃からか女性が黒の服装を好み、黒一色でコーディネイトしていた女性ばかりだったこともありましたね。

そしてサラリーマンのコートも黒色が定番となってしまいました。

いつのオリンピックでしたでしょうか、優勝台に立ったアメリカの黒人陸上選手たちが人種差別への怒りとして首を垂れ黒い手袋をつけた拳を突き上げていることもありました

1960年代のベトナム戦争の終結がまだ見通せない時期に、ある日本の女優が戦争が終わるまで黒しか着ない(喪に服する意味)とテレビで宣言したのとは随分時代が変わったものです。

先日高校の同級生の集まりがあった時に一人の友人がオフ ホワイトのステンカラーのコートを着ているのを見てホッとしました。

今回も老人の繰り言になってしまいました・・・。

次回はもっと明かりを! それでは失礼いたします。