特別講座・イベント
地球の音楽誌 神の祭り・人の祭りVol.4
陸奥(みちのく)に舞う シカ・オニ・トラ
【講義内容】
人々が、自然とともに暮らし、動物たちと語り合う。しかもその動物は実在のものであったり、妖怪だったりする。人間と人間以外のものとが自在に交感するこの不思議な精神世界こそ、陸奥の風土が生み出した最大の魅力。柳田国男の民話集や宮沢賢治の童話がそれをみごとに描き伝えています。シカやトラやオニ、そしてカッパたちもが元気に人間界に現われ、遊び、踊り、語りかけ、消える――この幻想的な時間と空間は、今なお陸奥の山里に生き続けています。
岩手県の『鹿踊(ししおどり)』や『鬼剣舞(おにけんばい)』、宮城県の『虎舞』などを事例に、人と動物が民俗芸能の中ではどんな風に交流してきたのか、その情景をクローズアップしてみます。
【受講レポート-受講者から寄せられたレポート(尾花桃子さん)】
陸奥の山奥に生き続ける伝統芸能について、西岡先生の講義と、先生自身が撮影された映像を通し、私達は、それらが織り成す幻想的な世界のほんの表層を、土曜日の大学の講義室から眺める事が出来た。今回取り上げられた伝統舞踊は、岩手県北上市の「岩崎鬼剣舞」、青森県八戸鮫の「墓獅子」、岩手県北上市の「行山流口内鹿踊」、宮城県加美町中新田の「火伏せの虎舞」である。そしてこれらは模倣による表現舞踊と位置づけられており、実在の動物(鹿、虎)や空想の動物(鬼)などを、人間が模倣し舞っているものである。
人間が模倣し舞っているといっても、私の目に映し出されたそれは、獅子とよばれる妖怪のような生き物が、人間やカメラに囲まれながら、人間の墓の前で、厳かに首をくねらせている様子であり、鹿のような妖怪が、輪になってグルグル回ったり、首をかしげたり飛び跳ねたりしている様子であり、それらの舞が、何か私達にはみえないものを、その場に出現させ、そして、そこに起こっている異様な空間の様なものを維持させようとしている風景に私には見え、それが大変に興味深かった。「なんじゃこりゃ?」という感じである。そしてそれらは、結果として、先生のいう、「霊を慰める動作」とか「大地に感謝する動作」という他要素の付加も含めた、私達にとって意味の見えやすいもの、受け入れやすいものとして定着したのかなあ、という感想をもった。
後日、私はある美術館の図書スペースで、宮沢賢治の「鹿踊りのはじまり」という童話を見つけた。鹿たちが、嘉十という登場人物の落とした手拭いを、輪になって囲んでおり、そこへ嘉十がやってきて、鹿たちをそっと眺めているシーンの一部を紹介する。
『嘉十はにはかに耳がきいんと鳴りました。そしてがたがたふるへました。鹿どもの風にゆれる草穂のような気持ちが、波になって伝はって来たのでした。嘉十ほんとうに耳を疑ひました。それは鹿の言葉がきこえてきたからです。』
私は何だかこのシーンにとても感動してしまい、鹿たちを眺めているうちに、自分が鹿なんだか人間なんだか分からなくなっていく嘉十をとても羨ましく思って、その本を本棚に返した。帰り道、私は、「人間はものまねが好き」という、土曜日の講義での先生の言葉を思い出していた。「模倣」「ものまね」「ミミック」、これらの言葉の中に秘められている世界には、かなり深い意味があるんじゃないか?人間が人間以外を模倣して行う芸能には「目的」や「理由」を超えたとてつもない謎があるんじゃないか?と考えたりした。「人間はどうしてモノマネするのか?」それが今回の講義で私が得た新たな謎である。




