【インタビュー】山﨑江美子先生 ~”課題を乗り越え、前進する力”を育むレッスン~


スタッフ:今日は、よろしくお願いいたします。

山﨑:よろしくお願いいたします。

ヴァイオリンとの出会い

山﨑江美子
スタッフ:ヴァイオリンを始めたのは、どういうきっかけですか?

山﨑: 3歳の時に幼馴染のヴァイオリンの発表会を聞きに行った時に、
私も弾きたい!と母に伝えたことがきっかけでした。

スタッフ:
とても小さな時だったのですね。

山﨑:はい。まだまだ幼かったので、母は私におもちゃのヴァイオリンを渡し、本当に習いたいのか、様子を見ていたと聞いています。
当時そのおもちゃのヴァイオリンを毎晩、布団の中に入れて一緒に寝ていたそうです。
そんな様子が半年ほど続き、母も習い始めることを決心したそうです。
その楽器は実はおもちゃのギターでした。今も置いてあります。

スタッフ:かわいいですね!幼馴染とは今も交流があるのですか?

山﨑:はい。その方は今は音楽以外のお仕事をされながら、今は市民オーケストラのコンミスとしてご活躍もされています。
卒業後お声をかけて頂きオーケストラのエキストラとして出演の機会を頂くことがありました。
今も音楽を通しての関わりが続いています。

スタッフ:素敵ですね・・・。ヴァイオリンを習い始めることになって幼馴染の方と同じ先生のところに通われたのですか。

山﨑:はい、同じ先生をご紹介頂きました。
でも同じ先生はお忙しかったので小さな間は、先生のお父様に、優しく温かいご指導を頂き、
小学生の時にお父様先生から、幼馴染の先生に変わり、基礎から大切にとても熱いご指導を頂きました。
また先生には大阪音楽大学でもお世話になりました。

音楽中心の毎日

山﨑江美子
スタッフ:小さい頃は、練習を辛く感じる方もいらっしゃると思いますが、先生はいかがでしたか。

山﨑:そうですね、しんどいという時もあったと思いますが、小さな時は母が一緒に付いて練習するタイミングや内容も考えてくれていましたので、
練習が生活の一部になるよう促してくれていたのだと思います。
私はそれに頑張って付いていく、という感覚でした。
また母から聞いた話では、小学生の頃は同じことを何度も練習することは苦ではなかった様で、
ピアノでは母がご飯を作っている間に、一人で何度も同じところを練習していたそうです。
バイオリンでは必ず母がついてくれていました。

スタッフ:
練習がイヤになることはなかったですか?

山﨑:そういう時もあった様です。その時には叱られましたね。

スタッフ:他にも習い事をされていたのですか。

山﨑:他にはヤマハでピアノとエレクトーンを3歳から小学生まで通っていました。

スタッフ:すごい、音楽中心の毎日ですね。

山﨑:そうですね。母もピアノの先生でしたので毎日生徒さんが来られていましたので家でもずっと音楽が流れていました。
小学生ぐらいからスイミングやお習字などお勉強も始めたりしていましたが、それらを同時に習っていると忙しいので時期をずらして通っていました。
学校から帰ったらヴァイオリンとピアノの練習をするという毎日でした。

小学生の時に、自分で決断

山﨑江美子
スタッフ:当時から、音大進学や、その後に音楽家になることを考えていらっしゃったのですか?

山﨑:
その当時は音楽大学に行く、と強く明確にあったわけではなかったですが、
母は、もし私が音楽の道を志した時によりスムーズに進めるよう、考えてくれていたのだと思います。

スタッフ:どのくらいの時期に決断されましたか?

山﨑:
進路のことを考えたタイミングは大きく2回ありました。
1回目は小学生6年生の時です。中高一環の学校を受験するにあたり、
高校に音楽科が有る中学と無い中学のどちらを受けるかを、すごく悩みました。
そして音楽科の有る学校を選びました。

スタッフ:その時期、ご両親はどのようにおっしゃっていましたか?

山﨑:両親とも「まずは自分でどうしたいのかを考えてみなさい」と言ってくれていました。
とても悩みましたが両親は「こうしなさい」と言う事はなく時間はかかりましたが、
沢山の学校の見学にも行って、私自身に最後まで決断できるまで悩ませてくれました。

スタッフ:11歳、12歳の段階で、ご自身で決断されるっていうのは勇気が要ることだと思いますが…

山﨑:はい、両親とも何度も話し合いました。
私が悩んでいたことは私の演奏への実力について、一つあったと思います。
周りの同じ門下の方々はとても優秀な方々ばかりでしたので、私には難しいかもしれないと感じていたのだと思います。
その頃から、左手小指の長さが伸びなくなってきておりその差がはっきりしてきていましたので、
音色や音程にもかなりの影響が強く出る様になり、いつも注意を受ける様になっている時期でした。
でも音楽とバイオリンは大好きでしたので、その様な中でしたが、その時の良い決断ができたと思っています。

友達に支えられた中学、高校時代

山﨑江美子
スタッフ:そのように決断し、中学にはいられてからは、迷うことなく実技や学科の勉強に取り組まれていたのですか?

山﨑:いえ、中学3年生の時が2回目の進路を悩み始めた時でした。
それは人間関係での悩みでした。
中学校では高校進学時、音楽科志望者のための楽典やソルフェージュを勉強する、土曜講座が毎週土曜日にありました。
また高校に行けば3年間同じメンバーのクラスなので不安があれば考えなくてはいけませんでした。
でも中学3年生の時、私が人間関係のことで進路を悩んでることを知った土曜講座のクラスメイトが、毎朝駅で待っていてくれて「一緒に音楽科に行こう!」と毎日説得をしてくれました。
それが数週間続き、お陰様で音楽科に進学する決心をすることができました。感謝をどれだけしても足りません。
本当は音楽科に行きたかったですし周りのみんなも、それをわかってくれていたのだとおもいます。
進学を決めてからは、土曜日の授業に加え週二回のソルフェージュレッスンなど猛勉強をしました。

スタッフ:
高校に進学をしてからは、どのような生活でしたか?

山﨑:
高校に進学してからは人間関係の悩みはなくなり、毎日が本当に楽しかったです。
学校にも練習室がありましたので、1日の練習時間は格段に増え、朝練習のため7時に学校についてホームルームまで練習したり、
お昼休み、放課後と、特に受験前の3年生の時には早朝から学校と帰宅後も練習してとよく練習していました。
毎朝、朝練をするメンバーと一緒に時々演奏を発表し合って励ましあったり、先輩との交流も楽しく、本当に楽しい音楽科生活を過ごすことができました。

大学生で、課題を克服

スタッフ:お話を伺っていると、高校の時点で既に音大の雰囲気があったようですが、
大学に入学されて、高校と大学の違いを最も感じられたのは、どういうところですか?

山﨑:
そうですね、高校の時からオーケストラの授業もありましたし、似た様な環境だったと思います。
でも、音大ではやはりオーケストラの規模も全然違いますし、室内楽やオペラなどもありましたので勉強する曲目の多さがまず違いました。
また図書館には沢山の楽譜、音楽家の自伝書、楽器の専門書も沢山ありますので図書館にいることも楽しかったです。
そして友達とも練習の仕方などを相談し合ったり切磋琢磨できる友達にも恵まれました。
個人的には、大学時代はとことん短い小指と向き合えた時期でもありました。
先生にも本当に色々な方法を考えて頂き、自分でも扱いのコツを掴み始めた頃でした。

スタッフ:
小指を克服できたきっかけは何でしたか?

山﨑:大好きなバイオリニストさんとの出会いでした。
模索している時にたまたまマキシム・ヴェンゲーロフさんのCDを聞き大好きになり、愛知県までコンサートを聴きに行きました。
そして『ヴェンゲーロフさんのビブラートに少しでも近付きたい!』と思い目標ができたことがありました。

卒業後は講師の道へ

山﨑江美子
スタッフ:学生時代から、卒業後の進路について考えていらっしゃいましたか?

山﨑:4回生の途中までは、目の前の課題をとにかく一生懸命取り組む、という形でしたが、
卒業する直前に、卒業後は『ヴァイオリンの先生をしたい』と思い始め、考えるととてもワクワクしたのでやってみたい!と強く思うようになりました。
そして音大で、ある教室の講師募集の案内を見て早速申し込み試験を受けに行きました。それがヴァイオリンの先生の第一歩でした。

スタッフ:
これまで、教わる側としてレッスンを受けていらして、教える側に変わった時に、戸惑いはありましたか?

山﨑:
もうその時には、先生のお仕事をしたい!と強く思っていましたので戸惑いというよりも、とても楽しみでしたし、実際とっても楽しかったです。
ご指導もずっと勉強していきたいと思いました。子供たちがどんどんとできる様になり、キラキラとした目を見た時には本当に嬉しかったです!

スタッフ:音楽の道を選んだ事や講師の道を選んだこと、それぞれご自身で決断されたと思うのですが、
「この道が1番いい」と心から思える道を選ぶっていうのは、なかなか簡単なことではないと思うんです。
おこがましい言い方ですけれども、山﨑先生がご自分のことをすごく理解されているのだなと思いました。
誰かに決めてもらえば後でうまく出来なかった時に誰かのせいにできて楽ですが、
山﨑先生は逃げずに自分で決断されたからこそ、心から「1番良い」と思えるものを選べたのかもしれません。

山﨑:そうですね。先生のお仕事への決断は本当に考えるだけでワクワクしましたし、気が付いた時には、音楽教室へ申し込んでいましたね。

子供たちの気持ちに寄り添って”伝える”

スタッフ:講師のお仕事には、どの様に取り組んでいらっしゃいますか?

山﨑:
講師のお仕事は、「教える」というよりも「伝える」お仕事だと感じています。
そしてみんなの後ろから応援するサポーター、みんなが主役で輝ける様に。と願っています。
また短い小指と向き合うことで、悔しいこともありました。
その分どの様な手の形で演奏するとどんな音が出るのか仕組みを考えてきました。
それらを楽しく分かりやすく伝える様心がけています。
また生徒さんが困難なことにぶつかった時には、そのもどかしさや悔しい気持ちに寄り添い、前に進む力になりたい、と思っています。
壁にぶつかった時こそ一緒に乗り越えられる先生になって行けたら幸せに思います。

スタッフ:子供たちにヴァイオリンを通して、どのようなことを学んでほしいですか?
また講師としての目標はありますか?

山﨑:ヴァイオリンに対しての真っ直ぐな気持ち、その気持ちをつぶさずに『大好き』な気持ちをそのまま育てていける様な講師になりたいです。
もし壁にぶつかっても『自分は必ず乗り越える力を持っている!!』ということに気付いて欲しいと思っています。
子供達はスゴク力をたくさん持っていることを感じます。
そうやって乗り越えた瞬間を見れた時、とても嬉しいなと思っています。続けていくことの大切さをとても感じています。

スタッフ:最後に、山﨑先生にとって音楽とはどのようなものか、教えてください。

山﨑:
きっと、なくてはならないもの。私自身、色んなジャンルの音楽も好きです。
音楽は聞くだけで気持ちが明るくなったり勇気付けられたりと人の心に身近なものなのだと思います。
どの国にも民族にも必ず音楽がある、ということはきっとなくてはならないものなのだと思います。


スタッフ:今日はお話頂き、ありがとうございました。

山﨑:こちらこそありがとうございました。